進路紹介
Course introduction
丁寧な進学指導、高い進学率
We provide guidance for entering college.
Many of our graduates go on to national and public universities or vocational schools to acquire professional skills.
卒業生の主な進学先
- 静岡大学
- Shizuoka University
- 静岡県立大学
- University of Shizuoka
- 信州大学
- Shinshu University
- 四日市大学
- Yokkaichi University
- 国際ことば学院外国語専門学校
- Kokusai Kotoba Gakuin College of Foreign Language
など etc...
世界で活躍する卒業生
日本で就職 Working in Japan
- HTAY LWIN WIN【ミャンマー出身】 From Myanmar
- Avdi 静岡 整備士 Avdi Shizuoka(mechanic)
- PA N EI PHYU【ミャンマー出身】 From Myanmar
- フレックスジャパン株式会社 FLEX Japan Co., Ltd(oversears production)
- NGUYEN NGOC KHAI【ベトナム出身】 From Vietnam
- 丸栄工業株式会社 生産技術 MARUEI(designer, robot maintenance)
- AHKAR LINN【ミャンマー出身】 From Myanmar
- ホンダカーズ駿河 整備士 Honda Cars(mechanic)
- SANDEEP KUMAR【インド出身】 From India
- 株式会社永倉商会 海外事業部 NAGAKURA SYOKAI(oversea’s operation head)
- 鄭蓮花 ZHEN LIANHUA【中国出身】From China
- 国際ことば学院外国語専門学校 中国語講師
Kokusai Kotoba Gakuin college of Foreign Language(Chinese Lecturer)
母国で就職 Working in home country
- PUTI ANNISA【インドネシア出身】From Indonesia
- Widyatama University 日本語講師(Japanese Lecturer)
- BHARAT KUMAR【インド出身】From India
- 株式会社コイワイ KOIWAI(Sales Director)
- NGUYEN HOANG HUNG【ベトナム出身】From Vietnam
- DAIWA Investment, Vietnam ベトナム本社代表取締役(CEO of Vietnam head office)
- CHOPRA GAYATRI MANASI【インド出身】From India
- HCL Technologies Ltd.,India
日本市場プロジェクト担当(Japanese market project team member)
卒業生のメッセージ
Message of graduates
HTAY LWIN WIN
私の趣味は車です。日本は車を作る技術がとても高く、高いレベルの技術を身につけて車に関わる仕事をしたいと思い、日本へ留学することを決意しました。
しかし、日本に来たばかりのころは授業とアルバイトの両立になかなか慣れなくて、開いている時間は宿題をして寝るばかりで、なかなか楽しいと思える時間がありませんでした。しかし、自動車整備士の専門学校に入りたいという気持ちは変わらず、日本語学校では自分の目標にむけて一生懸命日本語の勉強に励みました。
そして、静岡の専門学校 静岡工科自動車大学校に入学することができました。専門学校では日本語学校とはまた違った厳しさがありました。日本人の学生と一緒に授業を受けたり、実習を行ったりするのはとても大変でした。でも、自分の好きな車のことを勉強するのはとても楽しく、一生懸命頑張りました。
専門学校卒業後はAudi静岡の整備士として、大好きな車の整備をしています。おかげで、毎日が楽しく充実しています。好きなことが仕事としてできるのはとても幸せなことです。
今後の目標は、更に多くの技術を身に付け、ミャンマーで自分の工場を作ることです。
日本で生活することは簡単なことではありません。特に、日本に来たばかりの時はとても大変だと思います。でも、自分の目標を常に持ち、辛いことがあっても、がんばる強い気持ちを持っていれば、楽しい将来が待っていると思います。後輩のみなさんも、どんなことがあってもあきらめないで頑張ってほしいと思います。
国際ことば学院日本語学校
2008年4月入学
2010年3月卒業
静岡工科自動車大学校
2010年4月入学
2012年3月卒業
BMW静岡
整備士として
2012年4月入社
PAN EI PHYU
私が「日本」という国に関心を持つようなったきっかけは、あるテレビ番組です。私が小学生の時、アジアの小学生たちを子供の日の記念イベントとして、福岡へホーム・ステイに招待するプログラムがありました。ミャンマーの大都市にある有名な小学校の生徒たちは、毎年そのイベントに参加し、帰国後に、彼らの日本での体験談が全国に放送されました。そのプログラムを見て、地方の小学校に通っていた私も日本へ行きたいという気持ちが湧いてきました。当時から、「日本」という言葉が私の頭の中に印象的に残り、自分もいつか日本へ行こうと強く思うようになりました。私はミャンマーの高校を卒業後、マンダレー外国語大学の日本語学科に進学しました。ミャンマーの大学を卒業した後、自分が長い年月待ち続けてきた日本への留学を決め、2006年10月に来日し、今年で日本での生活は8年目になりました。この8年間の留学生活を通して、私は色々なことを学び、色々な人と出会い、日本の社会のことを知ることができました。
私が留学生活で特に学んだことは、日本社会の奉仕の心です。日本に来たばかりの私は、静岡の国際ことば学院で一年半日本語を勉強しました。その後、信州大学経済学部経済学科に進学しました。発展途上国であるミャンマーから日本に留学することはなかなか難しいことです。ミャンマーと日本の物価水準の違いは非常に大きいので、来日してから、私は家族からの仕送りだけでは生活も難しく、勉強とアルバイトを両立させるため、必死に頑張りました。幸いなことにその努力が認められ、大学時代は毎年奨学金を頂き、勉強に集中して留学生活を送ることができました。ミャンマーのような発展途上国から来た私は、奨学金という支援なしでは、生活費や学費などの悩みでとても勉強に集中できません。私は留学生活の間に恩恵を受け、日本での充実した奨学金制度に感謝しています。
このように留学生活で様々なことを体験できた私は、ミャンマーで生まれましたが、日本で育てられたと言えます。私は沢山の人に恵まれ、助けられ、毎日感謝の気持ちでいっぱいです。
信州大学経済学部経済学科卒業後、長野県千曲市にあるフレックスジャパン株式会社に就職しました。入社してから海外生産課に配属され、現在は上司に色々と教えて頂きながら、ミャンマーの生産部門を担当しています。
社会人生活では母国ミャンマーだけでなく韓国、中国とも取引をし、社内、社外取引先とのコミュニケーション、社会人としてのマナーなどを学び、毎日の業務に取り組んでいます。
留学生活では幸せな体験もあれば、辛い体験もきっとあると思います。どんなに大変なことがあっても、挫けずに、自分の目標に向かって前向きに頑張ってください。一番大事なことは感謝の気持ちを忘れないことです!
国際ことば学院
2006年10月入学
2008年3月卒業
信州大学経済学部.経済学科
2008年4月入学
2012年3月卒業
勤務先
FLEX JAPAN Co.,Ltd
(フレックスジャパン株式会社)
2012年4入社
現職
海外生産課.ミャンマー生産担当
BHARAT KUMAR
私は大学生のころ海外に行って仕事や留学したいと思っていました。その時は日本ではなくフランスへ行こうと思っていました。しかし、友人のお兄さんに日本語をすすめられて、日本のことを調べるようになり日本へ行くことを決めました。昔から日本とインドは文化の繋がりがあります。日本人の真面目なところ、一生懸命なところを知りました。インドには日系企業が多いため、日本語を勉強しようと思いデリーの日本語センターに入りました。その後、日本語をもっと勉強したくてインドのデリー大学で二年間勉強しましたが、それでも満足出来なかったので日本へ行く決意をしました。
正直日本での生活は自分の予想していたものと少し違いました。しかし、日本で生活していくうちに本来の自分の目的を見つけることができました。休みの日はよく一人旅をしたり、登山などして、多くの人と出会いました。その出会いで多くのことを学ぶことができたと思います。日本で生活している間、私はほとんど日本人の人々と過ごしてきました。みんな時には優しく、時には厳しく、いろいろ教えてくれたので、日本で過ごした二年間はとても充実したものでした。
日本人の仕事に対する姿勢について野田先生からこのようなことを学びました。「三つのション;アクション、パッション、ミッション」です。この3つの言葉にとても助けられました。 私は、少し精神的な問題や経済的な問題がありましたが、周りに助けてくれる人がいたからこそ、それらの問題も乗り越えることができたと思います。人はそれぞれ悩みと苦しみあり、それを乗り越えて成長できるものだと思いました。
インドに帰国してからは旅行会社のHISで働き、六ヶ月後に自分の旅行会社「日印トラベルズ」を作りました。その後は友達と一緒にパートナシップでソフトウェアの会社も作り、それと同時に企業拡大に努めました。目的はインドと日本の繋がりをもっと強くすること。そして、インドの発展につなげることです。そして、現在それらの会社は弟と友人が中心となって運営しており、私は「株式会社コイワイ」という日本の鋳造会社で働いています。そこの社長とはインドで出会い、神奈川県にある株式会社コイワイの子会社をインドに作りました。そして、現在は営業所長として日本とインドの懸け橋となり働いています。
今後の私の目標は、世界を一つにして愛と平和の社会を作って行くことです。教育のない地域に教育を導入して、次世代の人々に日本で学んだ集団行動の大切さを教えていきたいと思っています。
国際ことば学院日本語学校
2008年4月入学
2010年3月卒業
現職
株式会社コイワイ 営業所長